今回の桶川元気人は、〝桶川に名人在り〟長野新さんと奥様の長野珠己さんにお話しをお聞きしました(^O^)/

〝桶川に名人在り〟

古の時代より、ずっと引き継がれてきた伝統文化。

日本古来の和銑(わずく)を使い、釜を作る釜師、釜を通して自分の形を表現される

長野新(あらた)さんと奥様の長野珠己さんにお話しをお聞きしました。

長野工房 鋳込作業

長野新さんのおじい様の長野垤志(てつし)さんは1900年生まれ、

昭和を代表する釜師(かまし)として活躍され、1963年、重要無形文化財保持者に認定されました。

茶の湯釜への研究に余念がなく、江戸末期から明治始め頃に途絶えた日本古来の砂鉄を原料として作る和銑(わずく)という

鉄を用いて釜を作る技術の復興に尽力したことで知られています。

その志を引継ぎ、現在は新さんのお父様が2代目=当代として活躍をしており、

数多くの展覧会などで評価の高い作品を生み出されております。

肩衛平釜「岳」

そんな2代目長野垤志さんのご子息の新さんはそのお名前の通り、

茶釜のみならず金属工芸作品も手掛け、新たな今の時代ならではの独自の表現を作品に取り入れていらっしゃいます。

おじい様が桶川の地を選び、お父様が工房を構えて50年。

新さんは桶川生まれの桶川育ちで、のびのびと成長をされました。

新さんのおじい様との思い出は、おじい様のお住まいの東京の十条から、あんぱんとポテトチップをお土産に持って桶川へ訪ねてきてくれたことだそうです。

そんなおじい様は新さんが5歳の時に亡くなられたそうで、

「人間国宝の頭をぺしぺしと叩いていたのは新だけだよ」と後に言われたそうです(^_^)v

幼い頃は危ないので仕事場に「決して近づいてはいけない」と言われていましたが、

中学校に入って初めてお父様の手伝いをしたそうです。

新さんは初めから釜師を目指したのではなく、一度、大学を出て就職もされたそうです。

ただ、ずっと心の中にモヤモヤする想いがあり、20代後半に選択しなかった道=家業のものづくりの道へ進みたいと

お父様に相談したそうです。

身近で見て来たからこそ知っている「この世界では本当に良い作品を作らないと認めてもらえない」

そんな緊張感のある道を選択し、最初の一年間はお父様の教えを受け、その後、30歳まで4年間は山形に修行に行かれたそうです。

鉄粉にまみれながらハードでも、充実した楽しい毎日を過ごしましたが、修行先は山形だったので雪には大変、苦労されたそうです。

そして修業を終えてから、自分のやりたいことを表現しようとしても、

まだまだ経験不足でうまく形にすることが出来ないという時期も過ごされたそうですが、

その時を越えて今がある、と最近では感じるそうです。

鐶付(釜の耳のようなもの)の制作

かつて桃山時代は釜一個、屋敷一軒と言われ、権力者でなければ決して持つことが出来なかった茶の湯釜。

江戸中期になると庶民の中でもお茶が普及されていきます。

茶の湯釜の研究者であるおじい様が当時、大きな鋳物産地の1つであった山形へ茶の湯釜制作の指導に行ったとき、

「先生、指導だけでなく先生も釜を作ってみてください。」と言われました。

すでに釜作りは輸入された鉄鋼石を原料とする洋銑が主流になっている中、

おじい様は「10年20年で朽ちる洋銑(ようずく)の釜ではなく、鎌倉時代から今に残る和銑であれば」と考え

「作るなら、古(いにしえ)の茶の湯釜のように、膚や模様が美しく写る和銑があればな…と言ったら、

その次に行った時には、和銑がしっかり用意されていたのだそうです。

それでは!と作ってみましたが洋銑と同じ技術では、形にすらならず、失敗してばかりだったそうです。

一度途絶えた技術を取り戻すことは難しく、和銑の釜はそう簡単には作れませんでした。

和銑の釜を作るための経験と技術が要るのです。

それから和銑に向き合う時間を重ねる度に、

おじい様は和銑の魅力に益々惹きつけられ、古の茶の湯釜の研究に生涯を捧げます。

「三峰乃釜鉄風炉添」

現在、和銑の釜作りを行っているのは、ここ桶川の長野工房をはじめとして、数少なくなっています。

何よりも和銑の茶釜は錆に強く、その釜で沸した湯で点てたお茶はとても美味しいのです。

和銑で作った釜であれば300年以上は持つそうですよ。

茶釜の厚みは約3mmが理想で、溶けた鉄が固まるときに1mでも厚くなっただけで膚の具合が変わってきてしまい、

割れてしまうことも有り、やはり今でも制作は難しいそうです。

和銑の特徴として、断面は白く霜のような結晶です。

新さんにとって桶川はどんなところですか?とお聞きすると

「子どもの頃は自然がたくさんあって良いところだなあと思っていました。

不自由なく暮らせて治安もいいし、何と言っても大きな災害が少なくありがたいと思っています。

そして何より桶川は住みやすいですね。」とのこと。

第50回伝統工芸日本金工展受賞作品の前で

 

そして、新さんの制作活動の裏方として、細やかな心遣いが見事な奥様の珠己さんがいらっしゃいます。

珠己さんは裏千家で茶道を学び、現在は新さんのサポートもされ、お茶に関わる日々を過ごされています。

珠己さんと茶道の出会いは「ちょっと飲み方くらい習ってみようかな」と軽く思ったのが始まりでしたが、

気づけばすっかりお茶の世界にはまっていたそうです。

カフェのテーブルで呈茶

新さんと結婚されて13年、新さんの魅力は裏表がなく、つねに釜づくりのことを考えているところ。

新さんにとっての珠己さんは、とても頼りになる。自分の足りないところを補ってくれる存在だそうです。

珠己さんに伝統文化を継承するお家に嫁ぐことは不安が無かったですか?とお聞きすると

「両親、親族の方も暖かく向かえてくれ、何よりもお茶に関係することがすごく好きだったので、

不安よりもとにかく夢中で、毎日があっという間に過ぎていきました。」とのことでした。

友人には仕事にお茶にと忙しくて大丈夫?と聞かれることもあるそうですが、

「大好きなお茶に関わる仕事が楽しいので全く苦にならない。」と珠己さん。

珠己さんにとってお茶に関わることがライフワークなのですね?

 

珠己さんは和銑の釜で沸かすお湯の美味しさを、一人でも多くの方に伝えたくて、

新さんの作品展の開催中、添釜として茶席を設けて、お客様をおもてなしされています。

「それが釜作りの家に嫁いだ自分のできること。」

お客様に「あー美味しい!」「やっぱり釜で沸かしたお湯で点てたお茶は違う!」言って頂けることが、

なによりも嬉しく活力になっているそうです。

長野工房鋳込作業風景

珠己さんは「もしも和銑で作る者が日本にいなくなってしまったら、

古からの茶釜のみならず、煮炊きをする道具等、全ての制作方法がわかる人がいなくなり、

日本古来からの和銑鋳造という技術の文化がひとつ途絶えてしまうことになる。

長野工房での仕事は、和銑の魅力を知ったファンの方の存在がなければ、続けていくことができない仕事なのです。

だからこそ釜や鉄瓶で沸かしたお湯の美味しさ、そのお湯で点てたお茶の美味しさを知っていただくよう、

大好きなお茶をツールとして茶事やお茶会、稽古などを通して、和銑の魅力を伝えてきたい」とお話ししていただきました。

 

新さん、珠己さん、お父様の垤志さん、長野家の方々は皆さま、お話が面白く、

話題も豊富で私のようなお茶の文化を知らない人間にも分かりやすく丁寧にお話をお聞かせいただきました。

こんな素敵な方々がお仕事されている長野工房が桶川にあることを知り、

また一つ桶川自慢が増えました。

私は静岡の生まれで、茶道とは縁が有りませんでしたが、緑茶を飲むのが大好きで、

静岡の友人から「桶川はお茶に縁があるよねー」と言われて、どうしてだろうと思ったら、

緑茶中のティカテキンを世界で初めて発見された農学博士の辻村みちよさん、

それにサントリーのお茶のCMでずっとお茶を紹介するもっくんの生まれた町だからと言われましたが、

ここでさらに世界に誇る日本の伝統文化を広める茶釜づくりを行う長野様が桶川に工房を持たれていることを知り、

お茶と縁が深い桶川を大いに自慢したいと思いました!

作品はもちろん、茶の湯釜制作工程も知ることが出来ます☆